

▶
昭和
19
年
動員先の日本レイヨンにて
菟道
国民学校高等科2年生(画像提供:歴史資
料館)
食糧増産は戦時下農
題でした。しかし労働力
題で、児童生徒も動員されて
昭和
19
年
6
月の農繁期学徒動員の事例で
は、宇治地方事務所管内 (宇治郡と
郡) に桃山中学・城南高女・宇治高女な
どの各校生徒が動員されました。
この年からアメリカ軍の大型爆撃機B
29
による日本本土空襲が日常化します。
質素倹約 必要性も一層高まっていく
中、昭和
17
年に白黒になった表紙右下
ロゴマーク (勉強マーク) は、昭和
18
年に
表紙から無くなります。
時
9
月
9
日 (日) まで
所
歴史資料館
内
同協議会に寄贈された戦争遺品を
含む、戦争関連資料を展示し戦時下
のくらしを振り返ります。
他
月曜日・祝日は休館
問
同館 (
39
・9260)
平和都市推進協議会×
戦争遺品展 戦時下のくらし
小学館発行の学習雑
低下やページ数の減少に
したが、当時の生活雑誌であ
友社発行の 「主婦之友」 も例外
せんでした。
この写真は、昭和
14
年
3
月号〜昭和
21
年
9
月号の同誌から歴史資料館が収蔵し
ているものを並べたものです。
書かれている内容を見ると、防空頭巾
の作り方や質素倹約の方法など 戦 下
の様子を色濃く映し出しています。さら
に、回し読みのお願いと回覧欄が記載さ
れるなど国内での物資の不足の深刻化が
見て取れます。
昭和
20
年
4
月から
6
月にかけて、一般
住民をまき込んだ沖縄戦が展開され、
「本土決戦」 がいよいよ現実の課題となり
ました。京都府においては、国民義勇隊
の地域組織等を編成して ました。宇治
近辺で空襲があったのもこの年です (
2
ページに掲載) 。
8
月
6
日には広島に、
8
月
9
日には長
崎に原爆が投下されました。
8
月
14
日、
日本はポツダム宣言の受諾を決定。翌
8
月
15
日、天皇による 「終戦」 の詔勅が放送
され、戦争 終わりました。
学習雑誌においては、戦後は平和を前
面に押し出した内容となり、現代かなづ
かいに改めら ました。
昭和 18 年 8 月号
表紙(右)と裏表紙(左)
昭和 19 年 12 月号
表紙
戦時中、背表紙から雑誌の厚さが
薄くなっていくのが分かります。
背
表
紙
で
見
る
1943
年
1944
年
昭和
18
〜
19
年
1945
年
昭和
20
年
ここで紹
「セウガク一
の実物を見に来
背表紙に印刷が無くなるほど薄くなった昭和 20 年 8 月号
昭和
21
年9月号
昭和
14
年3月号
7