

かつて、
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爆撃
機が飛んだこ
京都では、大阪
市の様に数千人もの
大規模な空襲はありませ
し
か
し、
戦
争
末
期
の
昭
和
20
年
(1945 年) になると、散発的
空襲に見舞われるようになります
当時、農村地帯であった宇治にお
いても、いくつかの工場があり、そ
こが爆撃の対象となりました。
7
月
24
日早朝、大久保村の日本国際航空
工業と宇治町の粟村鉱業所付近にそ
れぞれ爆弾が投下され、大久保町で
は
6
人が、宇治町では子どもを含む
7
人が亡くなりました。
大久保村の日本国際航空工業は主
に練習機と輸送機を製作しており、
当時学徒勤労動員により桃山高等女
学校や京都府女子師範学校などか
ら、
1
万人近い女学生が働いていま
した。
宇治
平
和
特
集
▲ 昭和 21 年(1946 年)6 月 6 日 アメリカ軍による撮影
出典:国土地理院ウェブサイト(http://mapps.gsi.go.jp/maplibSearch.do?specificationId=1171432)加工:宇治市
▲日本国際航空工業 動員された京都府女子
師範学校の生徒たちの記念撮影
(画像提供:歴史資料館)
(1)1月23日、宇治町・御牧村に銃撃、負傷4人
(2)2月4日、久津川村で83発の爆弾投下、31戸に被害
(3)5月11日、有智郷村の麦畑に爆弾1発投下
(4)6月1日、御牧村の畑に爆弾1発投下
(5)6月9日、寺田村木津川堤防・河原に爆弾100発投下
(6)6月15日、奈良電小倉・桃山御陵間線路に爆弾投下
(7) 7月24日、大久保村、日本国際航空工業に爆弾投下、死者6人。宇治町、粟村鉱業所宇治
工場に爆弾1発投下、死者5人。宇治町、民家横に爆弾1発投下、死者2人、負傷者数人
(8)7月30日、佐山村、爆弾投下、死者2人、負傷者3人
『宇治市史 第4巻』から抜粋
粟村鉱業所宇治工場
子どもを含む7人が亡くなった
爆弾が投下された地点
昭和20年に入ってからの、宇治近辺でおこった空襲被害
昭和19年 菟道国民学校卒業
を記念し、平等院にて
(画像提供:歴史資料館)
表紙写真の説明
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