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帰国

ベリアに されているの

ました。シベリ

こまでもついてまわ

平和への願い

戦争はやっぱりやったらあかん

い人はこれから先、残念ながら出

ません。そういう人が扇動すると、戦

になるかもわかりません。それでも、戦

らあかん。これだけ平和が続 てきたので、

をするなんて事考えなくてよいのです。

子どもたちには、自分を大事にして皆と仲良く

してほしい。お互いに話し合 ことを大事にし

ほしいと思います。

戦争に関心を持つき

私は、2年前に亡くなっ

ちゃんと一緒に暮らしてい

じいちゃんから戦後に苦労した

き育ちました。また、家族で行く

先でも戦争に関係する 「沖縄のひめゆ

りの塔」 や 「広島原爆ドーム」 などに一

緒に行く機会がありました。現地に行

くとテレビで見ていたのとは違う雰囲

気でした。そこから戦争に関心を持つ

ようになりました。

ちょうど広島に旅行した直後に、

「長崎への平和訪問団」 の募集を知りま

した。同じ被爆地として長崎はどのよ

うな状況だったのかを知りたくて応募

しました。

長崎にて

長崎で行われた祈念式典に参加し、

被爆した人のお話 を聴きました。原

爆で家族を失ったり、何もかもを失っ

た人の悲しい想いが伝わってきまし

た。また、原爆はそ

「恐怖の塊」みたいなも

た。原爆資料館では、被爆

の火傷、小さな子どもが苦しん

シーンを見て 「戦争て辛いな」 と

した。

平和を次世代へ

今、日本は平和で、私も家族や友達

と過ごせて幸せです。しかし、また戦

争が起こったら、悲劇をくりかえして

いくことになるんじゃないかと思いま

す。戦争のことを知ると、戦争 体験

した人たちの悲しみや苦 みを知りま

す。今の時代こそ戦争のこと 知るべ

きです。私たちはその想いを受け取っ

て、それを伝えて けたらいいんじゃ

ないかな、と思いました。そして、絶

対戦争をしてはいけない。長崎平和訪

問団として様々な平和事業に参加し、

そう思いました。

① シベリア抑留

 終戦後、日本軍兵士たちは満州や樺太などでソ連軍により

武装解除され、シベリアやモンゴルなどに連行されました。

森林の伐採や鉄道の建設などの過酷な労働を強いられ、収容

所での生活や食糧不足による栄養失調、冬の厳しい寒さのた

め、多くの犠牲者が出ました。

 シベリアに抑留された日本人は57万人以上と推定され、そ

のうち約5万5千人が帰国できずに亡くなったともいわれて

います(厚生労働省政策レポート「シベリア抑留中死亡者に関

する資料の調査」を参照)。

② 岸壁の母

 戦争から帰ってくる兵隊を乗せた船(引き揚げ船)で帰って

くる息子を待ち続ける母親の姿を歌った曲

 市平和都市推進協議会では、戦争体験者の当時の記憶・証言

を映像化する事業に取り組んでいます。

 中村健二さんのお話や、府原爆被災者の会宇治支部の長谷

部松子さんによる原子爆弾が投下された「その時」のお話を、

動画で視聴出来ます。

訪問団員が事前に折った千羽鶴を奉

納する服部さん

▲引揚桟橋を渡る引揚者(舞鶴港では昭和 33 年まで引揚者

を受け入れました。多くの引揚者がこの引揚桟橋で祖国の

一歩を踏みました)(画像提供:舞鶴引揚記念館)

将来は世界で困っている人の手助け

がしたいので看護師になることが夢

だと笑顔で語ってくれました

服部更紗(はっとりさらさ)さん

現在、宇治中学校 2 年生

服部更

平成

29

年度

キーワード

市公式YouTubeちはや茶んねる

「戦争体験アーカイブ」

宇治市 戦争体験アーカイブ

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