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受賞作品:『イコ トラベリング 1948ー』
著者: 角野 栄子 (かどの えいこ) さん
童話作家・翻訳者として国際的に活躍してきた著者の若き日の自叙伝。第二次世界大戦後、東京の下町で育った少女(愛称・イコ)が大学を卒業し、海外の書籍を扱う書店に就職、ブラジルに旅発つまでが軽やかなタッチで描かれてゆく。
連合軍の占領下、自由に目覚めてゆく少女時代。中学で英語を習いはじめて、現在進行形に出会った驚きが全編に弾む。
自分から進むこと、心が惹かれたら。文化の先端をゆく街に憧れ、親に許される時間内で行ってみる。ちょっとした冒険の重なりが彼女の行く先ざきの扉を開ける。ワンダー・ランドを行くように。
アルバイト先の古書店でまかされたショウウインドの飾りつけの仕事から、就職口が開く。中学、高校で仲良くなった友人たちには、降ってわいたように、アメリカにゆく道がひらける。自分には、日本人の移民の国、ブラジルが待っていた。
この若き日の自叙伝は、太平洋をサンパウロへ向かう船上の場面で閉じる。読み終わって、もう一度ページを開いたら、そこにはなんと、その三年後、大西洋をリオデジャネイロからスペインに向かう船上で、心を弾ませている彼女がいた。
「紫式部文学賞」始まって以来、異色の作品の受賞だろう。表紙をひと目見て驚いた。漫画家・今日マチ子の描く、赤い服を着て旅行カバンを提げた少女の颯爽とした姿。作者の角野栄子は『魔女の宅急便』で知られた児童文学作家だ。日本が戦争に敗れて三年目、作者の投影とおぼしきイコが十三歳の齢から、この少女小説は始まる。先年まで使用禁止だった敵国語がペラペラの中学教師。ずるい! ずるい! と言いつつ自分たちも占領国アメリカに憧れ、イコは「キャロル」、女友達は「クララ」男友達は「チャールズ」と呼び合って喜んだ。こんな開けっぴろげの戦後史は読んだことがない。主人公が少女で、そしてこの性格、独立精神ゆえにこそ、二十二歳で単身ブラジルへ出奔するラストまで、一気に読了させられた。特攻の若者を死なせ、原爆を浴びた敗戦国の苦さは、ただ明るく書けるわけではない。その題材を息も切らさず、老女の尻尾を隠して軽快に書きおおせた。愚痴なし、懺悔なし、抜き手を切って戦後史を泳ぎ抜いた角野栄子、いや……イコだった。
この度は「紫式部文学賞」にお選びいただきまして、ありがとうございます。心から感謝申し上げます。
思いがけない受賞のお知らせに、はじめは戸惑い、畏れ多い気持ちで一杯でした。でも、紫式部の「めぐりあひて みしやそれとも わかぬまに……」という歌が幼少期の記憶から浮かびあがってくると、懐かしさとともに喜びがこみあげてきました。お正月、家族とのかるた取りでは、「むすめふさほせ」を逃してはならじと、真剣! 遊びに夢中になりながら、和歌の言葉の響きにうっとりとしたものです。
歴代の受賞者を拝見しますと、私は飛び抜けて高齢です。また私は紫式部のようなラブストーリーも書いておりません。多くは子どもたちのための本ですが、物語を楽しんだ子どもたちが、大人への橋を渡ってからも、読書を喜びとしてほしい。そんな願いを込めて、できる限り書き続けてまいりたいと思っております。
東京・深川生まれ。神奈川・鎌倉市在住。大学卒業後、出版社勤務を経てブラジルに2年間滞在。その体験をもとに描いた『ルイジンニョ少年 ブラジルをたずねて』で、1970年作家デビュー。
代表作『魔女の宅急便』は舞台化・アニメーション・実写映画化され、野間児童文芸賞、小学館文学賞等受賞多数。その他『アッチ・コッチ・ソッチの小さなおばけ』シリーズ、『ズボン船長さんの話』、『イコ トラベリング1948−』等作品多数。
2018年に児童文学の「小さなノーベル賞」といわれる国際アンデルセン賞作家賞を受賞。
2023年に「魔法の文学館(江戸川区角野栄子児童文学館)」が開館。