宇治らしさを紐解く

明治時代〜現在

歴史が重層する
世界的な観光地として

幕藩体制の崩壊とともに、宇治の茶業も大きく変化していきました。しかし、宇治茶は海外への輸出品ともなり、国内の品評会などでも高評価を得続けました。

さらに明治中期に鉄道が通ったことにより、来訪者も一気に増加。大正時代に当時国内最大級の発電力を誇っていた宇治発電所が稼働すると、宇治にも電気が普及していきました。

同じ頃、宇治川ラインなどが、新たな観光スポットして登場します。一方で、昭和に入ると、漁場や水辺の景勝地としての巨椋池おぐらいけは国の干拓事業によって農地化され、人々の暮らしや景観が、大きく様変わりしました。

そして現在、宇治は、宇治川を中心とした美しい景観、世界遺産や国宝など数々の文化財、日本文化を代表するお茶が楽しめる街、そして紫式部ゆかりのまちとして、国内外から多くの人々が訪れて人気を博しています。

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