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宇治七茗園について

印刷ページ表示 更新日:2020年1月17日更新 <外部リンク>

宇治茶の歴史

宇治茶は鎌倉時代に、僧侶の栄西が中国から持ち帰った茶の種を、京都栂尾高山寺の僧侶である明恵が譲り受け宇治に植えたことが始まりだと伝えられています。
また室町時代には、将軍の足利義満に命じられた大内義弘が、宇治に茶を植え七つの優れた茶園が生まれました。

宇治七茗園

七つの優れた茶園は『宇治七茗園』と呼ばれ、中宇治地域に「宇文字園」、「川下園」、「祝園」、「森園」、「琵琶園」、「奥の山園」、「朝日園」が存在していました。
これらの茶園は「森、祝、宇文字、川下、奥の山、朝日につづく琵琶とこそ知れ」と和歌にも詠まれて宇治茶の発展の礎となりました。
現在では、ほとんどの茶園がなくなってしまいましたが、宇治善法にある「奥の山園」(茶の木は宇治市の名木百選のひとつ)のみが残っています。
うじしちめいえんのえ


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