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宇治史探検 No.016 岡屋の津から隠元橋へ
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更新日:2023年3月27日更新
古から続く悠久の歴史、豊かな文化など 知る人ぞ知る宇治の豆知識をお話しします。
岡屋の津から隠元橋へ
岡屋の地名が、港を意味する津の文字とともに文献に現れるのは平安時代。鎌倉時代には近衛兼経がここに邸宅を営んだことから、御殿の浜とも呼び習わされます。江戸時代、隠元隆きを開祖として黄檗山萬福寺が大和田に建立されると、彼がその第一歩を印したことにちなんで隠元浜の名が加わり、対岸の向島との渡し舟も隠元渡と通称されました。
昭和24年(1949年)4月、この地に初めて木造の橋が架けられ、の名にちなんで隠元橋と命名されます。28年8月の水害後、鉄筋コンクリート製となりました。近年、場所をやや下流に移して、道幅も広げて、新たに平成の隠元橋が建設されました。東詰に「岡屋の津」と刻まれた石碑のあることをご存じでしょうか。趣のある文字は、五ケ庄岡屋の地と縁の深い江戸時代初めの公家、近衛信尋の日記から選び集められたものです。
「岡屋の津」と刻まれた石碑
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No.016 宇治市政だより 平成23年(2011年)7月15日発行掲載