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宇治史探検 No.004

印刷ページ表示 更新日:2023年3月27日更新 <外部リンク>
古から続く悠久の歴史、豊かな文化など 知る人ぞ知る宇治の豆知識をお話しします。

大鳳寺村 岸辺から寺跡へ

 莵道地域は、もともと三室村と大鳳村の二つの村でした。ともに村名は、地元のお寺に因みます。三室戸寺はよく知られますが、一方の大鳳寺は飛鳥時代から平安時代にあった古代寺院の名と伝えられています。現在の旧立命館高校第2グラウンドの東側からは、蓮の花がデザインされた特徴的な瓦や建物の基礎が見つかっています。寺はやがて滅び、旧大鳳寺村の集落は跡地を取り囲むように形成されました。

 実はこの集落には前身があり、羽戸畷と呼ばれた西方の宇治川のほとり、旧奈良街道付近から移転したというのです。三室津という港が設けられたこの界隈には民家も立ち並び繁栄していたと言われています。しかし、洪水による被害がたび重なることから、住民は水辺を離れ、かつての寺跡周辺を安心・安全な新たな居住地として選んだようです。水運や漁業に従事する人々が多く住んだのでしょうか。

大鳳寺金堂基壇跡
大鳳寺金堂基壇跡
No.004 宇治市政だより 平成22年(2010年)7月15日発行掲載