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宇治茶の歴史

印刷ページ表示 更新日:2020年3月16日更新 <外部リンク>
宇治茶は鎌倉時代前期頃、栄西から茶種をもらいうけた明恵が宇治に伝えたのが始まりとされています。実際、記録として確認されるのは、南北朝時代の頃です。その頃に成立した書物の中で、茶産地のひとつとして宇治が挙がっています。しかし、この頃は京都の栂尾の茶が一番とされ、宇治茶はそれ以外の茶という扱いでした。
それ以降、室町時代にかけて、公家や僧の記録の中に宇治茶が贈呈用として扱われていたことが出てきます。やがて、宇治茶の評価が栂尾茶と肩を並べるほどとなり、室町時代中期には宇治茶が最高位の対象と認められます。
戦国、安土桃山時代になると、商人の間で茶の湯が盛んとなり、時の権力者と結びつき、やがて支配者層である大名においても盛んとなります。千利休が茶の湯を確立するのはこの頃です。宇治では江戸時代に茶師と呼ばれる茶園を経営し顧客に茶を供給する茶商の存在も確認できます。
江戸時代になると、宇治茶師は今の宇治橋商店街を中心として屋敷を構えるようになりました。彼らは江戸幕府から特権を認められ、将軍に献上するため、新茶が採れると良質の茶を壺に詰める作業を行うとともに、それぞれが全国の大名等を顧客に持ち、宇治茶の流通を担っていました。