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暑い夏の夕暮れ時に山に沈む夕陽が、宇治川に夜のおとずれを伝える頃、
川面に松明が映え、いよいよ宇治川の”鵜飼”の始まりです。
鵜匠と鵜の絶妙な技は格別で、川面に吹くさわやかな風が、
まるでいにしえ人になったように錯覚させてくれます。
どうぞ皆さんご一緒に優美な船の遊びをお楽しみください。
鵜飼の様子
宇治川の鵜飼は例年、7月1日から9月30日の期間中に開催されます。
ただ、宇治川の水量や天候によって営業日が変更になる場合があるため
詳細は下記ホームページもしくは、公益社団法人宇治市観光協会(Tel 0774-23-3353)までお問合せください。
https://www.kyoto-uji-kankou.or.jp/<外部リンク>
鵜と2人の女性鵜匠(写真左 沢木万理子 鵜匠 写真右 江﨑洋子 鵜匠)
鵜飼の鵜は、渡り鳥でウミウという種類になります。鵜匠は、捕獲された野生のウミウを鵜飼ができるように訓練します。
鋭いくちばしと爪を持つ鵜を、鵜匠が愛情を込めて育て、鵜飼の時には、追い綱(鵜をつなぐ紐)を通じて鵜と繋がります。
鵜を操る人を鵜匠と呼びます。宇治には3名の鵜匠が在籍しており、内2人の女性の鵜匠が活躍しています。
風折烏帽子に腰みの姿の伝統的な装束で鵜飼を行います。夏の鵜飼シーズンは、もちろんのこと、シーズン以外の時も
鵜の世話をしています。宇治川では、鵜匠は6羽の鵜を操り鵜飼を行います。
宇治川の鵜飼は、平安時代にはすでに行われていたと言われています。
天禄2年(971)奈良の長谷寺に参詣した藤原の道綱の母は、
その往復に宇治を過ぎて、川岸から鵜飼を見物しています。
彼女が残した「蜻蛉日記では」、川幅一杯に数え切れぬほどの鵜舟が出て、
それぞれにかがり火を焚き舟べりをたたいて、夜通し鮎を捕りつづけている様子が、
興味深く書き留められています。
当時は、宇治川の風物詩、氷魚を捕る網代とともに、盛んに行われていたようです。
平安時代の後期になると仏教の教えの影響をうけて次第に宇治川での殺生が戒められるようになりました。
西大寺の僧叡尊は、宇治川における殺生の全面的禁断を命じる太政官符により、
浮島のあたりに漁具・漁舟を埋め、日本最大の十三重石塔を建立し魚霊を供養し、
宇治橋の再興を行いました。そして平安貴族の衰微とともに、宇治川の鵜飼も衰退していきました。
現在の鵜飼は、大正15年に再興したもので、宇治の夏の風物詩となっています。
平成26年6月29日、宇治川の鵜飼で飼育されているウミウに初めてのヒナが誕生しました。
ウミウは警戒心が強いため、飼育されているウミウの産卵及びふ化は日本で初めてのことです。
このヒナはウッティーと名付けられ、鵜飼デビューを果たし活躍しています。
現在までに11羽のウッティーが誕生しています。