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歴史文化再発見!-宇治川合戦絵巻-

印刷ページ表示 更新日:2022年3月3日更新 <外部リンク>

歴史文化再発見!ー宇治川合戦絵巻ー

[宇治川大合戦図 宇治市歴史資料館蔵]

宇治市では、2022年大河ドラマ『鎌倉殿の13人』の放送に合わせて、平安時代末から鎌倉時代初めにかけて繰り広げられる合戦の時代にスポットを当てる「歴史文化再発見事業~宇治川合戦絵巻~」を展開していきます!

合戦の時代の宇治

宇治は藤原頼通が建立した平等院に代表される平安時代の貴族文化のイメージがあるまちですが、じつは古戦場としての側面も持っています。

宇治川に架かる宇治橋は、大化2年(646)に架けられたことが石碑で伝わっており、これは架橋の記録が残る橋としては最も古いものです。

それより26年後に起こった壬申の乱の際には、宇治橋の橋守に宇治橋を遮断するような命令がされるなど、古くから奈良と京都を結ぶ交通の要として機能していました。

平安時代末に、平家打倒の令旨を出した以仁王は、付き従う源頼政と共に近江園城寺から南都興福寺に向かう途中、宇治橋で追っ手と戦いになり、以仁王を逃がした源頼政は、合戦の末に平等院で自刃します。

以仁王も追っ手に追いつかれ討ち死にしてしまいますが、皇子が挙げた平家打倒の狼煙は、その後の源頼朝の挙兵に繋がり、鎌倉時代へと時代を動かしていくことになります。

またこの時期の宇治では、源平の合戦の”宇治川の先陣争い”や、後鳥羽上皇が鎌倉幕府執権の北条義時の追討を命じたことで繰り広げられる承久の乱』の時代に起こる二度目の”宇治川先陣争い”など数々の合戦の舞台として登場します。

平等院に代表される平安時代の貴族文化、豊臣秀吉の太閤堤が築かれた安土桃山時代、その間をつなぐ合戦の時代の宇治の歴史や文化にぜひご注目ください!

 


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