ブックタイトル市政だより令和2年(2020年)8月1日号

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概要

市政だより令和2年(2020年)8月1日号

宇治から見た太平洋戦争太平洋戦争時、伊勢田・小倉に住み、小倉国民学校(現・小倉小学校)の同級生だった西岡さん、吉村さん、久保田さん、辻さんの4人にお話を伺いました。軍国教育太平洋戦争時、私たちは小学生で、学校へは集団登校をしました。毎朝、小倉町の子こもり守神社で、高等科の生徒が集合ラッパを吹きます。私たちはそれを合図に集合し、行進ラッパに合わせてまるで軍隊のように行進をして登校しました。B29が近くに墜落終戦の年、昭和20年6月に、上空を飛んでいたB29が、高射砲の砲撃を受け、バラバラと分解しながら、私たちの住む所からわずか500mほどしか離れていないジャガイモ畑に墜落しました。墜落する機体からパラシュートで脱出するアメリカ兵を見ました。女性の兵隊もいました。墜落してくるB29が間近に迫ると、「学校の校舎が落ちてくる」と感じるほど、巨大な飛行機でした。私たちは、竹やりを持ち、走って向かいました。落ちている防弾ガラスやジュラルミンの破片を拾い、家に持って帰りました。防弾ガラスはこすると独特のにおいがして、そのにおいを今でも覚えています。食べ物には困らなかった私たちの住んでいたその頃の小倉町は、農村でしたので都会に比べて、米などの食料には比較的困りませんでした。京都市内から人が、着物などを携えて、米や野菜を買いに来るぐらいでした。当時、貨幣の価値が低く、農作業の手伝いに来た人たちに対して、貨幣ではなく、お米などの食べ物で支払っていました。また、野菜などを盗まれることが頻繁にありました。しかし親は「まあええやんか」と大目に見ていたのを覚えています。蓮はすの実がおやつ私たちの住む地域はかつて巨おぐらいけ椋池でしたので、ばんじょの実(蓮の実)がたくさん取れました。どんぐりのような味でおやつ代わりに食べていました。また、椎しいの実や椋むくの実なども食べました。それらを拾いに行くことが、私たちの遊びで、楽しかったのを記憶しています。防空壕の中で空襲警報が鳴り、防空壕に逃げ込むことは頻繁にありました。防空壕の中はジメジメして気持ち悪く、親にすがって身を縮めて、爆音が去るのをただひたすら待っていました。また、家が燃やされるかもしれないと心配でたまりませんでした。戦争に対する思い戦争は絶対にいけません。親子が離れ離れになるのはあってはならないことです。戦争が起きない世の中であってほしいと思います。昭和17年、小倉国民学校に入学語句説明高等科現在の中学1・2年生に相当する。高射砲地上から航空機を攻撃するために作られた火砲。宇治には現在の京都文教大学の敷地にあった。蓮の実辻つじ敏とし雄おさん(伊勢田町)久く保ぼ田た博ひろむさん(小倉町)吉よし村むら利とし子こさん(小倉町)西にし岡おか弘ひろさん(広野町)6