ブックタイトル市政だより令和2年(2020年)8月1日号

ページ
4/16

このページは 市政だより令和2年(2020年)8月1日号 の電子ブックに掲載されている4ページの概要です。
秒後に電子ブックの対象ページへ移動します。
「ブックを開く」ボタンをクリックすると今すぐブックを開きます。

概要

市政だより令和2年(2020年)8月1日号

写真撮影時のみ、マスクを外しています。へ上がって先生に尋ねられたら、こう答え女子は薙刀の訓練をしました。小学生ていました。を行いながら、インタビューを実施しました。スと戦争をしている非常時です。小学校は竹の先を細く削って、竹やり訓練をし、は、母のタンスはすっかり空っぽになっ的距離の確保、マスクの着用、こまめな換気ですね…。でもね、今はアメリカやイギリたくさん歌いました。5、6年生の男子てもらっていました。戦争が終わる頃に※新型コロナウイルス感染症対策として、身体う言われました。「皆さん夢があっていい書で学び、例えば音楽の時間には軍歌をしていた着物を米や芋などの食糧に代え和の尊さについて考えてみませんか。は私たちの顔を愛おしそうに見回して、こ小学校に上がると、軍国主義的な教科母はつてを頼り、農家へ行き、大切に子屋さん」などと口々に答えました。先生状況でした。ロが発生している今、改めて、平私たちは、「僕は汽車の運転手」「私はお菓軍国少女帰って雑炊などを食べ、学校に戻るというました。世界の各地で紛争やテは大きくなったら、何になりたいですか。」期は、米が手に入りにくく、お昼に自宅へ経験した人に貴重なお話を伺い先生はこんなことを尋ねました。「皆さん一つ入ったお弁当が推奨されましたが、末3月太、平ま洋も戦な争くが幼始稚ま園をっ卒た園翌す年るの私昭た和ちに17年、丸弁当」といってご飯の真ん中に梅干しが集では、子どもの時代に戦争をます。学童のお弁当も戦争初期は「日のく機会が減ってきました。本特押し付けられた夢幼稚園を卒園する私たちも食べられる野草を見分けることが出来験者から戦争ポ、ノビル、ヨモギ、セリなど、私は今でさんにお話を伺いました。探して摘みに行きました。ツクシ、タンポ終戦からの75年悲が惨経さちを、直戦接争聴体太平洋戦争を姫路市で経験した、山本けていました。そこで、食べられる野草を戦争の記憶を次世代へつなぐいつもお腹を空かせていて、みんな痩せこ頭の中を駆け巡るの少しずつ分け与えられました。私たちは光景が走馬灯のようにりました。わずかな食糧は「配給」でほんいまだに当時の悲しい戦争終は戦激のし年く、な昭り和、20食年に糧入不る足とは、深い刻よにいなよ深刻な食糧難やまもと山ませんでした。たず、まさに「軍国少女」でした。平和特集戦争の中の子ども本明中に思想・言論・報道の自由は全くありそのような軍国教育に対して、疑問は持あき子こさん(宇治)満州事変や二・二六事件が起きた昭和11年に生まれ、5~ 9歳のときに太平洋戦争を経験は特別高等警察に逮捕されました。世のが敵を殺す訓練をしていたのです。当時、とは絶対の時代でした。戦争に反対の人当時、日本は戦争一色で、軍の言うこといけないと思ったのでした。たら看護婦になり、戦場へ死にに行かないなりました。子どもながらに、大きくなっとを守らなければならないという気持ちにて、私たちはどうしても先生の言われたこ表紙の説明が正しい答えなの」先生は涙を浮かべていさんになりたいです』と。これからはそれす』女の子は『兵隊さんを介抱する看護婦てください。男の子は『兵隊さんになりま昭和13年頃、宇治市五ケ庄福住にて。背後には高射砲がある。(画像提供:歴史資料館)4