ブックタイトル市政だより令和2年(2020年)1月1日号

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概要

市政だより令和2年(2020年)1月1日号

山本市長(以下、山本):皆様、新年明けましておめでとうございます。今年もどうぞよろしくお願い申し上げます。本日は新春対談に、クリナップ所属のレスリング選手、皆みな川がわ博ひ ろ恵え 選手をお招きしました。皆川選手、明けましておめでとうございます。皆川選手(以下、皆川):明けましておめでとうございます。オリンピック出場という目標山本:皆川選手は、昨年の9月に行われた世界選手権を経て、見事、東京2020オリンピックの代表選手に内定されました。おめでとうございます。東京2020オリンピック代表選手に内定されたときのお気持ちはいかがでしたか。皆川:幼い頃から、オリンピックに出ることが目標だったので、とても嬉しかったです。また、それまでのレスリング人生で、けがとか色々あったので、内定したときは本当に嬉しかったです。オリンピックまでの道のり山本:前回のリオデジャネイロオリンピック(以下、リオオリンピック)ではけがで出場出来なかったということで、またそれよりも前には浜口京子選手と厳しい戦いがあったとお聞きしております。目標にしてきた東京2020オリンピックまでは長い道のりだったと思うのですが、何か感想はありますか。皆川:もともとリオオリンピックに出場して、レスリングを辞めようと思っていたのですが、膝の靭帯を切ってしまって、リオオリンピックには挑戦出来ずに終わってしまいました。周りの方から、まだ体が動くので、しっかりレスリングをやりきってから競技生活を終えた方が良いとアドバイスをもらって、私自身もそうだなと納得しました。その時点では東京2020オリンピックという目標はなくて、1年1年頑張っていこうと思っていたのですが、それがオリンピックにつながって本当に良かったです。山本:日本で開催されるオリンピックに出場出来るというのも、他国開催のオリンピックとは違って、一ひ としお入だと思います。お父様もレスリングの監督をされていましたよね。お父様、お母様はどう思っておられますか。皆川:父はリオオリンピックに出られなかった時点で辞めると伝えたら、賛成してくれなくて、しっかりやりきった方が良いという意見でした。母は、女性ですし、心配が先に立ったようです。でも、最終的には、本当に家族がサポートしてくれました。生まれ育った宇治山本:皆川選手は幼い頃から宇治にお住まいになって育ってこられたわけですが、宇治への思い入れや愛着についてはいかがですか。皆川:宇治は生まれ育った場所で、今でも思いたって帰ってきたりします。宇治のまちはランニングコースがいっぱいあります。小さい頃から朝練をしていて、源氏物語ミュージアムのとこから大吉山へ上がって、興聖寺の方へ降りてきて、興聖寺の琴坂をいつも朝ダッシュしていました。山本:やっぱりランニングなど、レスリングの思い出の中で、宇治のことを思い出されますか。皆川:そうですね。様々な経験がレスリングに生きる山本:中学生の頃、陸上(長距離)をやっておられたと聞いたのですが、例えば長距離だと粘り強さなど、全ての競技に共通すると思うのですが、それが今に生きているのですか。皆川:レスリングは6分間の戦いを、1日に3~4試合しないといけないので、持久力を養うことに役立ちました。小さいときに色々なスポーツをやった方が良いと思います。自分自身との戦い山本:スポーツに限らず、よく己が敵だと言いますよね。己に勝たないと、相手とも戦えないと。そういう気持ちは、オリンピックに出場するアスリートとしてどうですか。皆川:それが一番大事だと思います。やっぱり試合前には不安になりますし、不安を抱えている自分に勝っていかないと試合で良いパフォーマンスは出来ないと思います。苦しいときに、もういいやと思ってしまうか、そこからもう一歩頑張ろうと思うか、自分自身との戦いというのは、練習のときから常にありますね。オリンピックを目指したとき山本:いつ頃からオリンピックという目標を意識して頑張ってこられたのですか。皆川:幼い頃からオリンピックに出たいとは思っていたのですが、レスリングの女子が正式に種目になったのが、アテネオリンピックからだったので、それまでは漠然とオリンピックに出たいと思っていました。本当4