このページの本文へ ページの先頭です。 メニューを飛ばして本文へ

本文

宇治史探検 No.008

印刷ページ表示 更新日:2023年3月27日更新 <外部リンク>
古から続く悠久の歴史、豊かな文化など 知る人ぞ知る宇治の豆知識をお話しします。

富家殿と泉殿

 後冷泉天皇のもとに嫁いだ藤原頼通の娘寛子(かんし)(1036年から1121年)は、晩年をよく宇治の別荘である「泉殿(いずみどの)」で過ごしました。また、同じ頃、藤原氏の筆頭となった藤原忠実(1078年から1162年)も、宇治に強い思い入れを持ちました。頼通のひ孫にあたる彼はこの地に別荘や荘園を営み、よく宇治を訪れたといいます。

 忠実自身や彼が営んだ別荘や周辺の荘園を指して「富家殿(ふけどの)」ということがあります。その範囲と邸宅の所在地は、宇治・槇島と対岸の五ケ庄を含めた一帯のどこかと、はっきりしませんが、忠実は、自らが造営した富家殿もさることながら、宇治にやってくると、寛子が居所とした泉殿に必ずと言っていいほど立ち寄っていました。若くして政界の頂点に昇りつめた忠実は、大叔母の寛子とその周辺に頼るところが大きかったのかもしれません。

 泉殿は、宇治七名水の一つとして、現在のユニチカ宇治工場の入口にその伝承地を遺します。

​​

​​

泉殿の碑(宇治戸ノ内)
泉殿の碑(宇治戸ノ内)
No.008 宇治市政だより 平成22年(2010年)11月15日発行掲載