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【史跡宇治川太閤堤跡】明治期煉瓦工場跡 発掘調査現地説明会を開催しました

[2013年10月3日]

  • 開催日時 : 平成25年9月28日 午後1時~3時
  • 場   所 : 史跡宇治川太閤堤跡発掘調査地(京阪宇治駅西側)
  • 来場者数 : 約80人
  • 概   要 : 煉瓦窯1基と煉瓦積みのカマド、煉瓦の廃棄場を発掘しました。煉瓦窯は、上部が失われており、焼成室の下部の煙道が残っていました。煉瓦廃棄場を埋めて整地した後に造られています。古地図や写真資料から、煉瓦工場は明治時代後半の短い時期に操業されていたと考えられます。平成23年の調査で確認した窯は登り窯でした。短い操業の間にもさまざまな窯を造り、煉瓦を焼いていたと考えられます。また、煉瓦積みのカマドも良好な状態で残っていました。赤煉瓦は日本の近代化を象徴する重要な資料です。今後、この工場で生産された煉瓦がどのようなところに用いられたのか調査をすすめていきたいと思います。
発掘調査現地説明会の位置図

発掘調査現地説明会の位置図

史跡宇治川太閤堤跡明治煉瓦工場跡の発掘調査説明会 当日資料

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発掘調査の概要

1.発掘調査の経緯

平成19 年の発掘調査で発見された豊臣秀吉築造の宇治川太閤堤跡は、当時の技術の粋を集めた大規模治水工事の様子を今に伝えるものとして、平成21 年に国の史跡に指定されました。宇治市ではこの貴重な文化財を顕彰し未来に伝えるため、(仮称)宇治川太閤堤跡歴史公園の整備を進めることとしています。この史跡宇治川太閤堤跡地内は、宇治川に面した好所のため各時代の遺跡が重複しています。古くは旧石器時代、弥生時代、古墳時代などの遺物や集落跡や古墳など、新しくは江戸時代の瓦窯跡そして明治期の煉瓦窯跡が確認されています。今回の発掘調査は、平成23 年の試掘で発見された明治期の2基の煉瓦窯跡の範囲を確認するため、その南側で実施したものです。この煉瓦窯跡は明治42年の地図に工場マークとして記載されているもので、お茶の町宇治の近代化を担った施設の一つといえます。

2.発掘調査の成果

今回の調査は、調査地北半に「T」字の形の1トレンチ(北側を1 区とし、南北幅3m、東西長14m、南側を2 区とし長10m)を設定し、南半には南北幅3m、東西長7mの2トレンチを設定しました。1トレンチでは、現地表面から1.4m程掘り下げたところで煉瓦窯1基と煉瓦廃棄場が見つかり、2トレンチでは地下1.2m 程で煉瓦積みカマド1 基がみつかりました。1 トレンチ1区煉瓦廃棄場跡 1 トレンチの北壁沿いで東西8m、南北1mを確認しました。煉瓦を数段に積んだ壁の内側に廃棄煉瓦が詰まっており調査区の外に続きます。壁に使われている煉瓦には、窯本体に使われていた高熱で表面が溶けているものもあります。

1 トレンチ2区煉瓦窯跡

 南北長5m・東西幅2.5mで煉瓦窯底面の一部を検出しました。上部の焼成室や焚口は失われており、焼成室の地下に南北にのびる3条の煙道が残っていました。調査区西壁沿いには窯壁体痕跡の煉瓦圧痕を留める漆喰モルタルが確認できるため、この部分が窯の西端で窯は東側の調査区外にもう少し伸びていると判断できます。窯の南側には煉瓦片が廃棄してあり、さらに南には燃料となる粉炭滓が堆積していました。粉炭は窯の天井から投入する燃料で、窯の天井には投炭孔があったと考えられます。この煉瓦窯は煉瓦廃棄場を埋めた後につくられています。

今回の調査で検出した煉瓦窯1 基と平成23年の調査の2基を含めて考えると、この煉瓦工場では単独の煉瓦窯を北側から南へと順に構築と廃棄を繰り返して移していることがわかります。今回の発見した煉瓦窯はその最終操業のものと考えられます。

2 トレンチ煉瓦積みカマド

南北長3m、東西幅1.5mを検出しました。中央の焚口から南側のカマド据え付け部に熱風を送ります。工場の炊飯用のものでしょうか。

3.出土遺物

煉瓦は、長さ21 センチメートル、幅10 センチメートル、厚さ6センチメートル前後のものが大半を占めます。粘土を型に詰める手抜成形で、歪みなど若干のばらつきがあります。「--」の刻印のある煉瓦と「×」の刻み目のある煉瓦、描き目のある煉瓦をそれぞれ1点確認しました。窯体に使われたと思われる、表面が熱によって溶けた煉瓦も出土しました。また煉瓦廃棄場から出土した長さ65 センチメートルの鉄板は、西洋式の窯の焚口に取り付けられる鉄製火格子(ロストル)と考えられます。

2 トレンチの煉瓦積みカマドの近くからは、馬の蹄鉄が出土しました。煉瓦や燃料・材料を運んだ荷馬車のものと思われます。

4.まとめ

煉瓦は幕末から大正にかけての約100 年間、わが国の近代化の象徴として、都市建造物や鉄道、工場、そして民家の基礎や塀など、さまざまなところで用いられました。宇治では、鉄道や軍施設、大正2年操業の宇治川電気株式会社宇治発電所などに用いられたほか、大正13 年に茶葉を乾燥させるための煉瓦造りの炉が発明されるなど、お茶の町ならではの使い方もされました。煉瓦製造には、大量生産用のホフマン窯を用いた大会社が活躍し各地に煉瓦を供給した以外にも、大規模工事などに際しては近隣に煉瓦工場が営まれ、地域の近代化を担いました。今回発掘の煉瓦工場もこのような一例です。今後、ここで生産された煉瓦の供給先や生産技術の復元などの調査を進めていきたいと思います。

発掘調査現地の様子

現地説明会の様子

現地説明会の様子

出土遺物等

出土遺物等

お問い合わせ

宇治市 都市整備部   歴史まちづくり推進課
電話: 0774-21-1602(直通) ファックス: 0774-21-0400
E-mail: rekimachi@city.uji.kyoto.jp

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